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オリジナル字幕

Too Late Blues

監督:ジョン・カサヴェテス

(103分/1961年)

Filmmaker: John Cassavetes

Year of production : 1961, Country : USA, Length : 103 minutes

Images Courtesy of Park Circus/Paramount


作品解説
 『Too Late Blues』はカサヴェテスの監督二作目であるが、”インディペンデント映画の父”であるカサヴェテスのハリウッド作品・スタジオ映画であるために、あまり批評として取り上げてこられなかった作品だ。
 しかし軽く一瞥しただけでもカサヴェテス映画でしかないような輝きがある。
 感情のセッションによって物語ろうとする姿勢、ストーリーテリングには不要でありそうな人間同士の戯れ、俳優の演技や会話から不穏さを生んでいく構成といった、この後のカサヴェテス作品の代名詞となるような要素が多数散見され、それをハリウッドでもやっていくのだという若き志も垣間見れるのがこの作品ならではなのかもしれない。
 また、カサヴェテス・ファンとしては、『アメリカの影』のルパート・クロスが二作目も継続して起用されていること、カサヴェテスの弟とも言われた盟友シーモア・カッセルの若き姿、ギリシャ移民というモチーフとその人懐こく激烈なキャラクター設定、急に野球をやり始めるシーンでは『ハズバンズ』を思い出す人も少なくないだろう。そしてヒロインの名前がポランスキーだというのは、偶然かもしれないし、後年監督になる同世代の俳優を知っていたのかもしれないし、他の由来があるのかもしれないが、そのネーミングに興味を惹かれてしまうことは間違いない。
 一見よくあるハリウッド映画のような風情だが、主人公のゴーストを始めとする登場人物たちの選択、レコーディング前日のプールバーでのやりとりを始めとしたなぜ物語がそのように動いていくのか理解し難い展開など、なかなか奇妙な作品でもある。それは何故か考えると、原因はカサヴェテスが演技と感情を重視してストーリーを進めていることにある。It’ too late. なんというラストシーンだろう。

Profile

ジョン・カサヴェテス John Cassavetes


 1929年12月9日ニューヨークで生まれ、1989年2月3日ロサンジェルスで亡くなった映画作家であり、俳優である。父、母は共にギリシャ移民である。
 大学中退後、アメリカン・アカデミー・オヴ・ドラマティック・アーツ(演劇学校)入学。ここで出会ったジーナ・ローランズと1954年に結婚。テレビの脇役などを経て、『暴力の季節』(1956/監督:ドン・シーゲル)で注目された。『暴力波止場』(1957/監督:マーティン・リット)、『西部の旅がらす』(1958/監督:ロバート・パリッシュ)などに出演する傍ら、自ら演劇ワークショップを主催し、1958年に監督第一作『アメリカの影』(1958)を完成させる。
 またこの頃テレビシリーズ『ジョニー・スタッカート』(1959-1962)に主演し、俳優としての知名度が一気に上がる。
 『アメリカの影』の成功によってハリウッドからオファーを受け、『トゥー・レイト・ブルース』(1961)、『愛の奇跡』(1963)を監督する。『愛の奇跡』でプロデューサーと決裂したカサヴェテスは、本当に自分のつくりたい映画を制作するため、『殺人者たち』(1964/監督:ドン・シーゲル)、『特攻大作戦』(1967/監督:ロバート・アルドリッチ)、『ローズマリーの赤ちゃん』(1968/監督:ロマン・ポランスキー)などに出演し、その出演料を資金に『フェイシズ』(1968)を自主制作する。
 以後、『ハズバンズ』 (1970)、『ミニー&モスコウィッツ』(1971)、『こわれゆく女』(1974)、『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(1976)、『オープニング・ナイト』(1977)を制作し、ハリウッドとは離れ、極めてラディカルなスタイルの映画を制作する作家として活動する。
 またそれと並行して引き続き、イタリア映画『明日よさらば』(1969/監督:ジュリアーノ・モンタルド)や、ハリウッド映画『パニック・イン・スタジアム』(1976/監督:ラリー・ピアース)、『フューリー』(1978/監督:ブライアン・デ・パルマ)などに出演し、特異な雰囲気を持った俳優としても評価を高める。
 脚本のみを提供するはずだった『グロリア』(1980)を監督することとなり、久々にハリウッド資本の作品を制作する。『グロリア』は興行的にも批評的にも成功をおさめる。
 演劇の演出、ハリウッド映画への出演などをしながら、『ラヴ・ストリームス』(1984)を完成。この頃から体調を悪くし、長い間の闘病生活となる。
 『ハズバンズ』、『こわれゆく女』などで主演した友人であるピーター・フォークの出演している映画の監督が降板してしまったため、急遽『ビッグ・トラブル』(1986)の監督を引き継ぐことになる。しかし、カサヴェテスの納得のいかないまま強引に公開され、このフィルムは自身のフィルモグラフィに入れることを認めていない。
 1989年2月に59歳で死去。