『広報物のための画像、文、情報諸々を求める連絡が来る- – – – – -{この間に雪積もる地域に建つ美術館で作品を立たせるなど。ホテルの朝食をいつも逃す}12- – – – – -画像やテキストが立つ土台の様子が知りたくて、以前のチラシのサンプルを送ってもらう。すぐに観察すると、それぞれのかたの作品画像の枠が一定の割合で揃えられている。たとえば4:3のようなスクエアに近いような画像の場合、両脇に黒い帯を入れることで最も多数を占める割合の画像と並べても領有面積に違いが出ぬよう調整されているということ- – – – – -{滞在場所より南のほうに建つ石垣の内にある動物公園にて遊んだり立ったりするペンギンを撮影。目を付けていたおもちゃ屋に辿り着き(森の中の小屋のようなのに街に溶け込んでいて2度通り過ぎた)ドイツ製のボードゲームを手にとってゆっくり(主にビジュアルから)解読していると店主のかたに話しかけられしばらく談話。主催のゲームの会などについて聞く}10- – – – -画像をいくつか選定し、足下の不純なものから外していく、外しながらもいつでも戻れるように見えるところに並べて隠さない。同時にドローイングと文字の絡んだものに入り込んで考えを行き来させる(不純の溜まりにもバシャ!と突っ込んで染み込んだ靴を外して裸足になる、外されたのは足のほうだと気付いて靴を拾いに戻る)。ある程度これかなとなったあたりで、合わない靴を履かされた4:3の画像のことが気になる。あの靴は履きたくないし、足の下が何かを考えずに立ちたくない- – – {少し前に海のほうに向かう川に沿い南下して七色という集落のあたりにいた。七色を言おうとする時に虹色と言ってしまうことがある。言い間違いを翻訳として考えてみる。まずは七色のあたりが七色と表現されることの意味と、それが虹色と表現され直された時にずれ落ちたりずれ上がったりするものを観察する。私達の体験は流れを追いつつ、ある地点(七色(虹色)付近)に溜まる石の数々と関わることだった。当の体験において触れた石の色味・形の多彩さ多様さを「七色に輝く」というようにホログラフィックな、動的な光線のとらわれのなさと捉えてみると、「虹色に輝く」であっても何か一つの基点に則る世界とは別の次元角度から見て取れるものがある、ルービックキューブのカラフルさは一つ一つのキューブが絡み合いながら移動することで生きる、とすれば、「七色」は「虹色」であるかもしれない翻訳可能性を残すものと思えた。昔、玄関の水槽にはザリガニがいた。水槽は道具箱を改造したもの。機能の像を残しつつ存在が動いたのでそれも「虹色」に少しは近付いていたかもしれない。そういえば脱皮で出来たあいつの抜け殻はどこに消えたのか}6- – –

その靴に合わせるつもりはないよと、画像の姿勢で表したい。「長靴を履いた猫」は長靴を履けたことが特別なのではなくて、長靴を履いたり脱いだりする自由を見つけることができたことが素晴らしいのではないか(物語中にそんな描写はない)。さて、この画像の話の前に、この猫の紹介から。長靴は履いていない。地面が一番好き(影で冷えてる)。永世中立国にいる。次に画像のこと。誰にでも同じ割合の靴を当てがうことの奇妙さを味わい切るために、地面に張り付いたこの猫の画像を立ててみる。猫は無事。滑り落ちない—{一月の予定をメーリングリストに流したつもり、流れたように見えただけ、本当に流れたのかは知らない。SNSではないから、流さなくてもよいこと(活動に関する広報以外)は流していないつもりが、母の誕生日にレゴブロックをあげたことまで流していたとしたら。どんぶらことやってくるそれを掬った人達は何を受け取るのか。ただレゴブロックの宣伝となるか、組み立てられるものを手渡す人が組み立て待ちのものを受け取る人に手渡したのは区切りのための贈り物ではなくまだ先に遊ぶこと、それが待機状態から解くことの味わいと同梱されて譲られている様を受け取るのか}7—-合わない靴をわざと履かせること。合わないことの確認。僕は合わないことがわかっていてこうしようとする。相手はそれを知らない。合わないことを、見せつけようと。彼らは、こんなに合わないなんて!と驚き、こんなに合わせていたなんて…と振り返るだろうか。もっと方向を失いたい。いや方向に向かうことをやめる。後ろでも前でもなく、失うことでも失わせることでもなく。「非方向性」の表現。準備された靴をどう履くか履かないかではなくて、そして靴とは何かの問題でもなくて、問題による引き戻しと実験による進展の引力を緊張させて弛緩させて靴の隙間に染み込んで溶かしてしまう。靴があったのか無かったのかを考える人は未来から見ている。僕はきちんと手放して手渡すことにした(「立たせた猫の画像」は送らない)。画像データは移動しない。複製されるだけだから、わざわざ手放しの姿勢を作る。それが手渡すための画像。「尻切れ蜻蛉」を切れた尻と蜻蛉に分けて考えると、実際の蜻蛉のからだからすると尻がなくても蜻蛉とわかるだろうが、言葉の意味付けからすると「尻切れ」でないと元も子もない、むしろ尻のほうに内臓が詰まっていて、尻を除いた蜻蛉は残り、失った尻のことが気になって仕方がない。私は尻のほうを手渡すつもりだが、蜻蛉と見られても良いと思う。
I様
遅くなって申し訳ありません。諸々の情報などをお送りいたします。
(ミーティングの日程は改めて決められましたら幸いです。)
タイトル:「放散虫のトーテム/プロミネンス」
制作年:2026
内容:「泉太郎による、映像を巡る時間」→サンプルでいただいた以前のチラシでは「〜(作者名)による」と記されていることが多いように見えたのでこのように記しています。もし「泉太郎による」が必要なければ「映像を巡る時間」だけでもよいかもしれません。
概要:アートを軸に活動する泉太郎は近年、「不可知についてのプロセス」を構想してきた。今回はポレポレ坐に根付いた「自然」を検証して参照しながら、禁足地とモビリティ・ガバナンス、インフラと誘拐、神話上の太陽と太陽を指す指、減退する改良住宅群と拡張する古代の遺構など、いくつかの対象についての批評的なプロセスを内臓にして育てた「上映作品」を発表する。色や光における幾つもの在り方を巡り、物語により再自然化された禁足の領域を巡り、巡り巡って行き来するうちに内臓そのものとなる(あるいは解剖者となる)ような「映像を巡る時間」を過ごす会。
時間:「開始して180分後までに終了予定」→このような記しかたは奇妙と思いますが、固定し切れない要素のことを考えると、このようにしておくのが良いと思います。
解説:「ここには動けぬとされるものがある。動けなさは積み上がりトーテムとなり、留まり続けて根を張る呪いをイメージさせる。留まりたいと願う人々がいつもの方角に向かって唱える呪文。始まれば終わると幻想を謳う。トーテムに隠された地鳴りの上で、私達は留まる夢を見ている。
舟であれ馬車であれ、移動のための何かに乗って化身はあらわれて消える。それが一日の基準であり一生のマケットとなる。「太陽神話」ならぬ「映像神話」を練り上げる過程、内臓を透かして灯りにする。穴から伸びる黒ミミズを辿って登る。リモートコントローラーは自由に消えて不自由さを残した。一度は墓を暴かねばならない。神話の中心に据えられた映像(色、光)を取り囲む小さな話(惑星)、小さな話(惑星)を取り囲むもっと小さな話(衛星)、神話から逃れた巨大な影が千人の語り部を生んだ。
語り部曰く-夢以上幻以下の神話がミササギを支える、動くことに祟られた人々は語られず、領域は内臓を変えて居座り凹を作る。凸を探す手間は永久に省かれている-」
画像:以下に広報用の画像をお送りいたします。このかたちそのままを掲載するのではなくて、必ずここから切り抜いて使ってください。どのような形になっても大丈夫ですので、切り抜く形や比率はデザイナーのかたにお任せします。作品画像としてだろうが、背景になろうが、デザイン上のポイントになろうが、文字になろうが大丈夫です(できましたらむしろそのように溶かしていただいた上でデザインに浸透したい)。チラシ以外の用途で使う場合も同じように適切と思われる形に切り抜いて使ってください。

どうぞよろしくお願いいたします。
泉太郎
12+10+6+7=35
これらの日々を積み上げて、あるいは抜き取って、諸々を送付。これではわからないと返信が来るのを待って(36日目)』
Profile
泉 太郎
奈良県生まれ。奈良県及び東京都在住。
限られた資源や機材、人員により、映像を通した活動を始める。活動初期の多くの作品は、自ら考えて課したルールに従い延々と繰り返されるうちに少しずつ遠くに外れていくような行為(成果の見えないゲームのような)が撮影されている。近年では、古代から現代までの慣習や禁忌、制限や強制により再自然化する環境、暴君や暗君と記述されてきた人の文化的な側面や描かれ方、身体の代替物を生身の身体に戻そうとする実験、社会における設定とプレフィギュレーションなど、摩擦や矛盾を伴う多様なテーマへの興味を元にプロセスを立ち上げ、作家自身が忘れていく可能性さえ組み込まれた複雑な方法(形を変え続ける壁に向かっていつまでも壁当てを続けるような)を通して「わからなさ」に向き合い続けるための永久機関を構想している。
近年の主な個展に、② Pre-surgery title[MC15/149:(11bags&6heads&9skulls&4bubbles&10Tears&7wells&32Moles)245fish tongues&106Fresh luggages (運動期〜埋蔵期〜公開期)) (2025〜2027,關渡美術館, 台北)、公開オペレーション:ドリームランド(2024,奈良歴史芸術文化村,大窓付き工房倉庫,他,奈良) 、Sit,Down.Sit Down Please, Sphinx.(2023,東京オペラシティアートギャラリー,東京)、コドクエクスペリメント(2022,タケニナガワ,東京) 、ex(Museum Tinguely,2020年,バーゼル) 、突然の子供(2017〜2018,金沢21世紀美術館,石川)、Pan(2017, Palais de Tokyo,パリ)がある。金沢21世紀美術館、国立国際美術館、東京国立近代美術館、東京都現代美術館、豊田市美術館、森美術館、などでの展覧会に参加、横浜トリエンナーレやメディアシティソウルなどにて作品を発表している。
Taro Izumi
Born in 1976, Nara, Japan












