作品解説
2005年の夏から始められた伊丹シリーズの2作目から4作目にあたる、2006年の始まりから秋が訪れるまでを描いた3作品。
『伊丹2006年冬』は、冒頭のカットからしてこれから始まる映像体験が豊かであることを確信する。夜の住宅街の風景を撮った固定ショットかと思いきや、視点は夜空を飛ぶ飛行機に移る。飛行機を見ているときれいな三日月が見えて、カメラはそこにズームする。ブレながらも三日月を捉えたかと思ったらカメラはズームアウトし、そのままティルトダウンして地上に戻ってくると、カメラの訪れを待っていたかのように一台の車が通り過ぎる。通り過ぎた車の背景には人が一人立っていて空を見上げている。カメラは車の後ろ姿を映し続けるが、音はフェイドアウトし、画面は無音の夜の住宅街の風景となる。観る者は、カメラが心地よく揺らいでいることと、最初のショットから180度視点が動いていることを認識したころに、画面もフェイドアウトする。この2分程のショットの何と見事なことか。その後もカメラは心地よい自由さをもちながら、伊丹のあらゆる風景や事象を記録する。
こういった風景を記録した作品だと、カメラはフィックスとか、ズームしないとか、様々な制約やルールを定めて作品化しようとすることが多いと思うのだが、伊丹シリーズにはその厳かさや居心地の悪さがない。冬には雪を撮るし、春には桜を撮る。うたたねをする猫もいるし、野外の風景だけでなく市民ホールのようなところで行われている合唱や舞踊の発表会も撮る。この何とも言えない心地よさは、不思議と観る者を飽きさせない。
そこに感じられる崟という撮影者の存在と息遣い。意識的にレベルを下げた音や、しばしば挿入される白い画面とフェイドイン。そういった”意図”に頭を動かしながら、単純に風景を慈しんだり、自分の記憶や感傷も混ぜながら観てみたり。モンタージュによって語られるストーリーも、モノローグが導くナラティブもないのに、そこに確実に流れているドラマティックな時間。
この後も長年続けられる伊丹シリーズの輪郭を感じられるシリーズ初期の80分。
Profile
崟利子 | Toshiko Takashi
大阪生まれ。福田克彦監督の助監督、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のディレクター等を経て、『オードI』『西天下茶屋・おおいし荘』を制作(1998、山形国際ドキュ メンタリー映画祭1999)。『Blessed ─祝福─ 』(2001、山形国際ドキュメンタリー映画祭2001)は、ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞受賞。 2005年より東京茅場町のギャラリーマキにて新作発表上映会「季刊タカシ」、2009年から神戸映画資料館で「タカシ時間」を開催している。 近作に、『Wave 踊る人』(2016、恵比寿映像祭 2017)『BETWEEN YESTERDAY& TOMORROW Omnibus2011/2016/2021』(2021、 山形国際ドキュメンタリー映画祭2021)。